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(C1) [Dokuro-kamensha] 19730504『Manga Journal』Vol.1

(C1) [どくろ仮面社] 19730504『まんがジャーナル』Vol.1

Non-H
Posted:2025-07-31 13:51
Parent:None
Visible:Yes
Language:Japanese  
File Size:54.41 MiB
Length:16 pages
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Posted on 31 July 2025, 13:51 by:   ぽーるちゃん    PM
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『漫画ジャーナル』は、1973年に関西で創刊された漫画批評の同人誌で、主筆は亜庭じゅん、編集発行人は高宮成河が務めた。高宮は創刊号に「なぜ ぼくらは それでも まんがを読むのか?」という巻頭文を寄せ、漫画を「面白いから読む」のではなく、「漫画であること」そのものが読む理由だと述べている。

このような考え方は、作品の内容や完成度ではなく、漫画という形式自体に価値を見出す立場であり、高宮たちは自分たちを“純粋まんが世代”と呼んだ。「ぼくらはまんがであり、まんがはぼくらだ」という言葉にも、その一体感があらわれている。

高宮はまた、当時の評論がファンの実感とかけ離れていると批判した。ファンは日常的に漫画について語り合っているのに、評論はそれを正しく扱えていないという。このズレの背景には「漫画そのもの」を評価の中心に置く立場と、外部の価値基準で語ろうとする評論の立場の違いがあった。

彼らは、漫画を読むことを通じて独自の感覚世界、いわば「第二のリアリティ」を内面に築いていると考えた。つまり、現実とは別に、漫画的な価値観や感覚を共有しながら生きているという自覚である。そしてその一方で、漫画を冷静に突き放して見る視点も持ち合わせており、この主観と客観の両立こそが批評の条件だとした。

高宮は、評論とファンのズレを生む要素として3点を挙げている。
1つ目は、その評論が「第二のリアリティ」を背景にしているかどうか。
2つ目は、扱う作品が「漫画であること」を根本にしているか。
3つ目は、「たかが漫画」と言えるような醒めた視点を内側に持っているか、である。

こうした考え方は、後に高宮らが関わる漫画批評集団「迷宮’75」のマニフェスト「マニア運動体論」の基礎となり、初期コミックマーケットの思想的な土台にもなった。「まんがと共にある世代」としての批評のあり方は、単なる作品の評価にとどまらず、ファン自身のあり方を問い直す運動でもあった。

『漫画ジャーナル』は、創刊号の発行後に亜庭が上京し、高宮一人では継続が難しくなったため、翌年の第2号を最後に休刊となった。しかし、その思想は「迷宮」へと引き継がれ、やがてコミックマーケットという新しい文化の場を生み出す運動の理論的な出発点となった。

第2巻:https://e-hentai.org/g/3463131/c139078e26/
Posted on 31 July 2025, 15:09 by:   DSSQ114514    PM
Score +6
我去,还真有创始刊的

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